私たちは誰もセーラームーンになれない①
小さい頃、セーラームーンが大好きだったけど、正直どんな話だったのかよく覚えてない。と言う人は結構いるんじゃないか。
この歳になって読んでみるとまた違った意味で面白いし、とにかくぶっ飛んだストーリーであったから、今更だけどオススメしたい。
美少女戦士セーラームーン 全12巻完結セット (新装版) (KCデラックス)
- 作者: 武内直子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2004/07/23
- メディア: コミック
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読み終わった後「夢も希望もない話やんけ・・・」と思ったわけだが、まず結論だけ言うとタイトル通り「私たち、あんなにセーラムーンごっこしてたのに初めから誰もセーラムーンになれなかったんや」という一言に尽きる。
衝撃がでかすぎてなぜか関西弁になってしまったけれども、
「いやいや、セーラームーンになれないのは当たり前やん」という意見はまぁ実際その通りなんですけど。でも本来、「少女漫画」は変身ものであれ恋愛ものであれ「実際に私たちにもこんなことが起こりうるかも!(起こってほしい!)」という願望や幻想を形にしてくれるものだと思う。
だけどセーラームーンは「お前らは絶対にセーラームーンにはなれないからな!」と漫画の方から現実を突きつけてくるタイプの物語なのだ。
他の少女漫画と比較するとイメージし易いと思う。
同じような「変身もの」といえば、パッと思いつく限りだと(年代がバレるけど)「怪盗セイントテール」「ひみつのアッコちゃん」「神風怪盗ジャンヌ」「おジャ魔女どれみ」「魔法騎士レイアース」あたりだが、こういう変身もので共通するポイントは大体こんな感じだろうか。
・「いたって普通の女の子」が何かしらのきっかけで「魔法の力」を授かって「変身」する。
・そして自分が変身できることは、両親はもちろん、時には友達にも「秘密」であり、知られてはいけない。
・現実の世界と齟齬をきたさない。
これらを総合すると、「変身」とは「非日常」であるということだ。
つまり主人公(たち)は、例えどんなに強力な魔法を使えたとしても、毎日学校に通い、同じクラスの男の子に恋をし、テストの点数が悪ければ両親や先生に叱られなければならない、ということだ。なぜなら、読者である平々凡々な女子が夢を見るためには自分たちと同じ「フツーの女の子」が変身する必要があるから。
(例外的にレイアースは異世界に飛んでしまうが、その間地球の時間は進んでいないので結果的に日常には齟齬をきたしていないと言える。)
そしてその魔法的能力は、「イケメンの彼氏ができる」「ラスボスを倒す」などという理由で、大抵最終回において「役割を終える」こととなる。
やはりこれも、変身の能力は「少女時代に一時的にもたらされる非日常である」ということを示している。(これは余談だが、おジャ魔女どれみではそのあたりが明確に示されている。アニメの最終回では「人間界を離れて魔女になるか」「人間として生きるか」の2択を迫られ、全員が「家族と過ごす日常」を選択し、魔女見習い生活に自ら終止符を打っている。)
まぁ要は、ヒロインが30歳・40歳になって「職業:おジャ魔女どれみ」にはならない、というのが漫画と読者との不文律というわけだ。だからこそ、読者である少女たちは「自分の日常にもこんなことが起こったら良いのに」とか「アッコちゃんになりたい」などと安心して夢見ることができるのだ。
しかし、その「職業:セーラームーン」をやらかしてしまったのが、セーラームーンシリーズである。
セーラームーンの内容を知っている人は、これから何を言わんとしているかおよそわかったと思うが、これから読む人のためにもざっくり説明したいと思う。
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セーラームーンにはそもそも「過去(前世)」・「現在(現世)」・「未来(現世の延長線上)」の三つの時間軸が存在する。
前世において、主人公「月野うさぎ」は「月の王国の姫」であり、タキシード仮面は「地球の王子」であり、2人は恋人同士であった。
現世の20世紀・東京に生まれ変わり、うさぎは「セーラームーン」として敵と戦ううちに、前世の記憶を取り戻していく。彼女は月の姫として、そしてタキシード仮面も地球の王子として、二人は地球を脅かす敵と戦うために、遂には現在と未来をも行き来し戦うこととなる。
30世紀の未来、この時代では、東京はクリスタル・トーキョーと名を変え未来のセーラームーンは姫から「女王」となり、地球と月の統治者となっていた。タキシード仮面も「王」となり、セーラームーンの夫として一緒にクリスタルなお城で暮らしている。ちなみに未来では二人とも不老不死になっているので若いままであった(一応寿命はあるっぽいのですが)。
現世のセーラームーンとタキシード仮面は、この未来の女王と王と力を合わせて戦い、地球と銀河の危機を救うのである。
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んんんんん?????
ってなりませんか。私はなりました。なんだこの話ってなりました。
ちょっと細かい部分の説明不足感はありますが、本当にこう言う話です。
とすれば、ここで最初の話に戻るが本来「非日常としての姿」であるはずの「変身(セーラームーン)」が「本来の姿」になってしまうという逆転がここで起こっている。先ほど出した変身ものの前提と比較すると見事に逆行していることがわかると思う。
・「いたって普通の女の子」が何かしらのきっかけで「魔法の力」を授かって「変身」する。→もはや普通の女の子ではなく、変身後の「女王」の姿で固定
・そして自分が変身できることは、両親はもちろん、時には友達にも「秘密」であり、知られてはいけない。→秘密どころか統治者さま
・現実の世界と齟齬をきたさない。→現実世界ごと非日常(クリスタル・トーキョー)に取って代わられる
実際にストーリーの中でも、物語が進むほど「月野うさぎ」というフツーの女の子としての傾向は薄くなり、代わりに「セーラームーン」という側面が強く出てくるようになる。そして女王になった月野うさぎは「クイーン・セレニティ」という名で呼ばれるようになり、名前すら非日常に取って代わられてゆきます。
非日常であったからこそ、日常を生きている私たちにも「起こりうるかもしれない」という妄想を掻き立ててくれるはずの変身する少女は、そこには居ないのだ。
私たちは不老不死にはなれないし、さすがにクリスタルトーキョーで生涯にわたり統治者となることは「現実的」に無理だ。「現実的」という言葉がぴったりなほど、私たちは「現実」を生きているのだから。
セーラームーンは私たちの手の届かない、妄想することも許されない遠い存在だった。
そう、「私たちは初めから誰もセーラームーンになれなかった」のである。
…今回はここまで。
次の記事では、今回書けなかった他のセーラー戦士たち(セーラージュピターとか)
について書きたいと思う。セーラームーン怖い。