薄花色の休み時間

美術館とか、本とか、映画とか。愛しているものたちについて。

「鳥にでもなりたい」の、あなたとあたしの世界

米津玄師の「鳥にでもなりたい」の美しさについて。

MAD HEAD LOVE/ポッピンアパシー

MAD HEAD LOVE/ポッピンアパシー

 

 2013年の曲。アルバム曲ではないので、知らない人も多いのかもしれない。

 

Aメロ→Aダッシュメロ→Bメロ→サビ が2回繰り返されるシンプルな構成。

 

登場人物は「あたし」と「あなた」と「誰それ・誰彼」である。

 

あなたが愛してくれないなら あたしは生きてる意味なんてないわ

今更どこへもいけないなら きれいな鳥にでもなりたいわ

 

入りからなかなかヘヴィーな歌詞だ。

どうやら「あなたが愛してくれないなら自分は生きてる意味はない」とこの「あたし」は感じている。なぜなら「今更どこへもいけない」から。 

 事情はわからないが「今更あなたを愛する以外の人生は選べない」と主人公のあたしは考えているようだ。

 

ではなぜ「今更どこへもいけない」のだろうか。

歌詞はこう続く。

 

 誰それ大げさに吐く嘘には 易々耳なんか貸さないんだから

 

要は、この「あたし」、他の誰のことも信じちゃいないのである。だから「あなた」に愛される道しか自分が幸福になれる道がない。

その願いが叶わないのならせめて「誰それ・誰彼」に愛される「きれいな鳥にでもなりたいわ」と嘯く。

米津玄師お得意の不協和音が「あたし」のおかしさを端的に説明している。

 

しかしBメロで変化が訪れる。起承転結の「転」の部分である。

 

だけど今日は寂しいが募る日になって 悲しいで満ちる夜になって

(略)あたしあなたこと愛してる

 

いろいろ言っても結局「あたし」は孤独なのである。

大前提として「あたし」は「あなた」に愛されて居ないということは明確である。満たされていたらそもそも「きれいな鳥にでもなりたいわ」なんて思わないのだから。

でも今更「誰それ・誰彼」を信じることはできない。

だからやっぱり「あたしあなたのこと愛してる!!!」に行き着いてしまうのだ。

 

ねえねえねえ連れてって!連れてって連れてって!

 

というわけで、「あなた」に全力疾走するサビ。ちょっと可愛ささえ感じてしまうのは私だけだろうか。

 

短い歌詞の中でサビに行き着くまでの「あたし」の思考の動きを丁寧に表現しているからこそ、このサビが活きてくるわけで、舌を巻くしかない。

 

そんなわけで、1番も2番も基本的には同じことしか言ってないのだが、2番の歌詞で1箇所付け加えて置くのであればこの歌詞だ。

 

あたしはあたしでいたいの、あたしあなたのこと愛してる

 

これはこの歌詞のタイトルにもなっている「鳥にでもなりたい」に対する回答である。

「あなたに愛されなかったら鳥になりたいな」と言って居たのに「鳥にはなりません!」というのが「あたし」の答えなのだ。

やはり「あなた」に愛されるしかないのである。

 

 

最後に、サビの歌詞の話。

 

あなたの生まれたあの街の中 あなたを育てたあの部屋の中

 

本来であれば「あなたの生まれたあの部屋の中」「あなたを育てたあの街の中」の方が言葉の意味としては通るはずだ。

しかし、歌詞の意味合いとしては「あなたの何もかもが知りたい」なのだから、あえて正方形の対角線を結ぶように、広がりを持たせたのだろう。

 

音楽は続く。