GLIM SPANKYの「大人になったら」がしびれる
最近毎日聞いてる一曲。
自分達がやっていこうとしている音楽に対する決意表明のような歌。
相手に投げかけるような言葉ですが、その言葉一つ一つがむしろ反対に歌っている側が何に強い執着があるのかわかる、そんな歌。
GLIM SPANKYのルーツは60~70年代のロックだということは既に
いろんなところで言われている話ですが、
『そんな(60年代70年代の)ロックは知らない 要らない 聴かない君が 上手に世間を 渡っていくけど』
『私たちは やることがあって ここで唄ってる』
こういうわけですね。
この『要らない』っていう表現がすごい。強烈。「キョーミ無い」「知ろうともしない」「必要ない」そういう色んな要素をまるごと説明している。
わざわざそういう言葉を選ぶところに歌う側のフラストレーションを感じるし、
『上手に世間を渡って』っていうのもちょっと皮肉だよね。
じゃあ60年代ロックにもともと興味ない人に自分達の音楽は届かないのか、
意味はないのかというと、いやいやそんなことはないよと。
唯一歌詞の中で不満や主張が語られていないのが
『知らないあの子が 私の歌を そっと口ずさむ夜明け 優しい朝』
私個人の感じ方としては・・・この「あの子」は若くて60年代のロックを知らない子を想定してるのではないかな・・・と思っています。
(逆に『君』は同世代かな。それ以上になると当時のロックをダイレクトに聴いていた時代になってしまうと思うので)
そもそも、60年代のロックを知っている人に伝わりやすいのは当然で、『あの子』に伝わっている、自分達があの時代のロックを受け継いでいる。確かに誰かに届いてる。
だから私は唄って行ける、唄ってゆくのだ、と。
そんな風に受け取りました。
こんな強い生き方をしてみたいものです。
今日はここまで。