薄花色の休み時間

美術館とか、本とか、映画とか。愛しているものたちについて。

西加奈子「きりこについて」を読み終わったら「我輩は猫である」を読みたくなった

 「楽しい読書したな〜!」っていうさっぱりした良い読後感が味わえた1冊。

今やってる「カドフェス2017」のロングセラー本に選ばれていたので読んでみた。

もともと西加奈子の文章は読みやすいと思うけど、これは特にテンポの良い、小気味いい文章で書かれていて、気軽に読めた。たまたま時間の空いた休日に一気に読むのもいいし、毎日の通勤電車の間なんかに少しづつ読み進めるのもおすすめできる。

読後は「面白かった」と「ちょっと元気出た」が丁度半々くらいである(当社比)

 

前にブログで書いた「うつくしい人」のように、心の暗い部分をゴリゴリ掘っていくような小説もあるので、この作家の表現の幅に本当に驚かされる。

yamakiharuna.hatenablog.com

 

「きりこについて」は「きりこは、ぶすである。」という中々失礼な(?)一文からスタートする。「ぶす(というワードは本の中で何百回と出てくる)のきりこ」と、きりこが飼っている聡明な黒猫「ラムセス2世」、そして、彼らを取り巻く人々の半生を描いた物語だ。

美男美女の両親の一人娘として生まれたのに、なぜか圧倒的なぶす(このぶす加減を表現した文章もまた笑ってしまうくらいひどい)に生まれてしまったきりこ。でも両親の愛情をたっぷり浴びて「私は可愛い」と疑いもせず育つ幸せなきりこ。

しかし、ある時好きな男の子に、「ぶす」と言われてしまったことからきりこの 世界が一変する。「え、私、ぶす(考えたこともなかった!)なの?」と…。

  

 

大人にとっては過去の物語

これは、今大人である私たちが今までに「各々自力で解決してきた問題」の物語であると言えるだろう。

誰しも一度は、(程度の差こそあれ)男の子に「ぶす」と言われたり、自分の見た目について悩んだ時期があるはずだ。だからこそ読んでいると「(ここまでぶすじゃないけど)ああ、そんなことあったな」という思いが良くも悪くも蘇ってくる。

そして当時は私たちも、物語に出てくる様々なキャラクターと同じように、少々無理なダイエットをしてみたり、オシャレに気を配ってみたり、少女漫画の世界の中に逃げ込んだり…してきたのではないだろうか。

 

そうして大人になるころには、自分の容姿に対するある程度の諦めだったり、彼氏ができたり結婚したりして自信がついたり、そういう外見のコンプレックスとの上手な距離の取り方を覚えていくものである(逆に言えば、「世の中金だ」とか別の基準が出てきてしまったりもするのだが)

 

というわけで、人によってはもうとうの昔に忘れてしまったその時々の感情(主に苦しみとか恥ずかしさとか)をユーモアたっぷりに、でも真面目な部分は真面目に、本当の意味でコンプレックスから解放されるまでを、きりこを通してもう一度追体験させてもらえる本です。

「そんな時のこともう思い出したくない!」という意見もありそうだけど、小学生の時好きだった人のこととか、中学生の時「あんなことで一喜一憂してたなぁ」とか色々思い出して面白かったので、ぜひこの記事を読んでくださった人にも読んでほしいと思う。

 

吾輩は猫である (宝島社文庫)

吾輩は猫である (宝島社文庫)

 

 本筋ではないけど、飼い猫のラムセス2世が物語の中でなかなかいい仕事してて、ほんと、お猫様から見たら人間の世界って馬鹿馬鹿しいだろうな〜と思いました。

そういえば夏目漱石の「我輩は猫である」も猫目線の話だった。こんなに有名なのに読んだことないので、またタイミングを見て読みたい。最後に溺死することしかしりません。

 

今日はここまで。