GLIM SPANKYの「大人になったら」がしびれる
最近毎日聞いてる一曲。
自分達がやっていこうとしている音楽に対する決意表明のような歌。
相手に投げかけるような言葉ですが、その言葉一つ一つがむしろ反対に歌っている側が何に強い執着があるのかわかる、そんな歌。
GLIM SPANKYのルーツは60~70年代のロックだということは既に
いろんなところで言われている話ですが、
『そんな(60年代70年代の)ロックは知らない 要らない 聴かない君が 上手に世間を 渡っていくけど』
『私たちは やることがあって ここで唄ってる』
こういうわけですね。
この『要らない』っていう表現がすごい。強烈。「キョーミ無い」「知ろうともしない」「必要ない」そういう色んな要素をまるごと説明している。
わざわざそういう言葉を選ぶところに歌う側のフラストレーションを感じるし、
『上手に世間を渡って』っていうのもちょっと皮肉だよね。
じゃあ60年代ロックにもともと興味ない人に自分達の音楽は届かないのか、
意味はないのかというと、いやいやそんなことはないよと。
唯一歌詞の中で不満や主張が語られていないのが
『知らないあの子が 私の歌を そっと口ずさむ夜明け 優しい朝』
私個人の感じ方としては・・・この「あの子」は若くて60年代のロックを知らない子を想定してるのではないかな・・・と思っています。
(逆に『君』は同世代かな。それ以上になると当時のロックをダイレクトに聴いていた時代になってしまうと思うので)
そもそも、60年代のロックを知っている人に伝わりやすいのは当然で、『あの子』に伝わっている、自分達があの時代のロックを受け継いでいる。確かに誰かに届いてる。
だから私は唄って行ける、唄ってゆくのだ、と。
そんな風に受け取りました。
こんな強い生き方をしてみたいものです。
今日はここまで。
三島由紀夫「潮騒」と米津玄師「海と山椒魚」が合う
三島由紀夫の「潮騒」を読みました。以下感想。
とにかく読んでいて、幸福な気持ちにさせられる小説でした。
少女マンガか!ってくらい、最初から最後までピュア。心が洗われました。
舞台は歌島。実在の島で、今は神島と呼ぶらしいです。
若く逞しい、寡黙だけど真面目で正直な漁師の新治と、愛らしくみんなの憧れの的、海女の初江。2人は愛し合ってるんだけど、小さな島なのに、小さな島だからこそ、いろいろあってなかなか進まない。でも最後にちゃんと結ばれる。
「潮騒」のいいところは、本気で嫌なやつは出てこないところだと思います。
歯がゆいんだけど安心して読み進められるというか。現実にはないかもしれないけど、誰もが心の中に持っている桃源郷みたいな世界。どきどきしながら2人の恋を見守る島の海女の気持ちで読みました。
モブの千代子も非常に人間くさくて好きです。
本当は新治が好きなんだけど、自分に自信がなくて嫉妬したり、意地悪な気持ちになったり、それをくよくよしたり。最後まで気持ち伝えずでしたけど、彼女の気持ちが少しだけ報われるシーンがあって、「よかったね!よかったね!(涙)」と胸がいっぱいになりました。
人生には、直接的に報われるものと、間接的に報われるものがあって、間接的に報われることのほうがいつまでも心に残ったりするものですよね。
こんな幸福な小説を書いたひとが31歳で割腹自殺したとは人生難しいですね。
というわけで、読んでる間に聞いていたのはこれ。
米津玄師の「海と山椒魚」。「潮騒」の世界観に非常に合っていました。彼自身、宮沢賢治とか三島由紀夫も好んで読んでいたそうなので、さもありなん。
「海と山椒魚」自体も井伏鱒二「山椒魚」からきてそうだし(山椒魚は呼んだことない・・・)
この小説、映画にでもなってそうだな~と思ったら、やっぱりなっていました。
百恵ちゃんではないですか。百恵ちゃんの「伊豆の踊り子」は高校生のときに見たことあります。これも近々観ておこうと思います。